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"1963年2月28日、名古屋高等裁判所第4部(裁判長小林登一、陪席裁判官成田薫、斎藤寿)は、吉田のアリバイが成立することを認め、無罪判決を言い渡した(高等裁判所刑事判例集16巻1号88頁、判例時報327..."

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1963年2月28日、名古屋高等裁判所第4部(裁判長小林登一、陪席裁判官成田薫、斎藤寿)は、吉田のアリバイが成立することを認め、無罪判決を言い渡した(高等裁判所刑事判例集16巻1号88頁、判例時報327号4頁)。この判決の冒頭では、以下のように本件の経緯について説示している。

「……しかしてこの間の、実に半世紀にも及ぶその無実の叫びに耳を藉(か)す者からは、被告人はエドモンド・ダンテスになぞらえられ、昭和の巖窟王と呼ばれるにいたつたのである。」

また、判決文の最後では、冤罪に対する謝罪が行われた。有罪判決は旧刑事訴訟法で行われたが、法手続上は合法であるため、人道上の観点から裁判所が謝罪するのは異例であった。判決文は「被告人」ではなく「吉田翁」として問いかけるもので、以下のように締めくくられている。

「これらの事情が相俟つて被告人の訴追をみるにいたり、わが裁判史上曽つてない誤判をくりかえし、被告人を二十有余年の永きにわたり、獄窓のうち に呻吟せしめるにいたつたのであつて、まことに痛恨おく能わざるものがあるといわねばならない。……(中略)……ちなみに当裁判所は被告人否ここでは被告 人と云うに忍びず吉田翁と呼ぼう。吾々の先輩が翁に対して冒した過誤を只管(ひたすら)陳謝すると共に実に半世紀の久しきに亘り克くあらゆる迫害に堪え自 己の無実を叫び続けて来たその崇高なる態度、その不撓不屈(ふとうふくつ)の正に驚嘆すべき類なき精神力、生命力に対し深甚なる敬意を表しつつ翁の余生に 幸多からんことを祈念する次第である。」

判決宣告後には、出廷していた裁判官3人が頭を下げる場面があった。吉田は50年の歳月を経て、無実を掴み取った瞬間、「万歳!」と叫んだ。その後 不当に身柄拘束された21年7ヶ月7日(7889日)の月日に対し1日あたり400円の刑事補償(315万5600円)が支給された。なお、吉田はこの判 決から9ヶ月後、1963年12月1日老衰と肺炎によって永眠した(享年84)。栃木県の墓には「人権の神ここに眠る」と墓碑銘が刻まれている。



- 吉田岩窟王事件 - Wikipedia

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